旅の名前 小江戸の町佐原と柴又
都道府県 千葉、東京
目 的 18切符が4日分あり、一人で出掛けるつもりだったが気が変わってちょっと散歩することにした。 それも仕事始めの日に出掛ける贅沢さ。(妻の都合でそうなっただけだが・・・) で、雑誌で知った小江戸佐原がこの寒い時期の散歩に好適と出掛けた次第、ちょっと帰りに柴又に寄る。
百 選 水の郷百選(佐原市)
日本の音風景百選(柴又帝釈天界隈と矢切の渡し)
日 程 2011.1.4-5
1日
   三島のいつもの駐車場(駅まで5分くらいで1日900円)に車を置いて、4時間ほどかけて佐原に到着。 駅前の観光案内所のコインロッカーに荷物を預けて、20円の観光地図を買って、まずは腹ごしらえと事前に調べた洋食屋さんを目指す。 東洋軒という大正15年創業の老舗だ。 裏道にある小さなたたずまい、わては事前調査の結果インディアンライス、妻はヒレカツ定食を頂く。インディアンライスはピラフの上に焼いた肉が乗った逸品で、これはあっさり味でなかなか。 
  妻のヒレカツ定食はデミグラスソースを上にかけた結構濃厚な感じ。どちらもまずまずでした。 コーヒーが付いて700円と1000円は安い部類でしょう。 できあがるのに少々時間がかかったのを除けば、満足でした。  
  この東洋軒に貼ってあったポスターで、この日が月に一度の骨董市開催を知った。そこで、予定ルートを変更して、東勲酒造というところで利き酒をして骨董市の開催されている神社に向かう。 その道沿いに確かに古めかしい町並みと奥行きの長い店を見学などして神社に着く。 
  どれほどのものかと思ったが、意に反して可成り大がかりな市、しかもまさに骨董品ばかり。50軒近くは店を出していたと思います。骨董は見ているだけで飽きませんd(−_^) 
  そのあと、その神社の脇にある佐原の祭り用屋台の展示館に入館した。 ここで親切な館員のかたが、実に細かな説明をしてくださった。 なぜそんなに細かな説明をしてくださったのか解らないが、他の人にはしていないのに私にだけヤケに丁寧だった。  それによると佐原が江戸時代に天領だったこと、江戸に物資を供給する商人のまちだったことになど由来する大がかりな屋台の歴史、そして夏と秋におこなわれる祭りがおこなう町内がまったく違うこと、段々競うように人形が大きくなったことなどなど、ただ見ただけでは解らない色々なことを教えて頂いた。
 その屋台の上に乗っている人形は4m以上はあろうかという巨大なもので、しかも顔がヤケにリアルなのである。 特に神武天応の頭が3階に展示されていたが、中村感九郎に似た猛烈にリアルに驚いた。 
  そこを出て伊能忠敬記念館に立ち寄り、川沿いの古風な道を散策。 川と用水が交差、じゃーじゃー橋と言うようです。 そうこうしているともう薄暗くなり、駅向こうのホテルまで必死に歩いた。 ビジネスホテルで格安だが、口コミ通り食事が良く、まあまあであった。
2日   次の日は、ゆっくりと柴又に向かい、路線に不案内のため、ちょっと間違えたようで柴又に着いたときには11時を回っていた。 トラさんの銅像の前で記念写真を撮り、人でごった返す参道を帝釈天に向かった。
  この参道の店は圧倒的に食べ物屋が多く、仏具屋もちらほら、いわゆるおみやげ屋さんは帰って少ない印象。 帝釈天とは正式には経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、寛永年間(1629)に開基されという。 なぜ帝釈天と一般に呼ばれるか? 日蓮聖人御親刻と言われる帝釈天のご本尊が安置されていのだそうな。 
  参道のお好み焼きを買って、江戸川の河川敷にあるベンチで昼食。 午後になり風が出てきた。 矢切の渡しの渡し場まで行ったが、川向こうには何もなさそうなので乗船せず。
  トラさん記念館でタイガースファンの照明係を発見d(−_^)
  色々なジオラマを見て、なかなか凝った作りに感心。 マドンナ役の中で太地きわこさんと大原麗子さんが亡くなっているのに改めて惜しいことだったと・・・。 大原麗子はファンだったんだよなあ。 
  隣の山本亭という大正時代の屋敷を見学、ぜんざいなどを頂いてゆっくりする。 そのあと、アメ横に立ち寄って相変わらずのせられて衝動買いをして帰る。